ハメドゥスト テヘラン通信 第7号
サラーム。ハレショマホベ。みなさんお元気ですか。先生ですか?メルスィー、フーバム。(
I'm fine, thank you. ) 今回は、前回の化石の山についてのことを簡単に紹介
し、イラン人の生活について話を進めていきたいと思います。
◆化石の山について
先日、社会見学で行った化石の山について、「なぜ山に、海に住んでいた生き物の化石があるのか」という質問をしましたが、答えは、そこが昔、海だったからです。今は、2000m級の山が連なっているところで信じられないのですが、サンゴの化石があることから、そこは浅くて(50m以内)暖かい海の底だったようです。その辺りは今から約2億3000万年前の古生代終わり頃から、100万年前の新生代第三紀終わり頃にかけて、しばしば激しい地殻運動の影響を受けて隆起したところです。特に1億年前頃の中生代末期から第三紀終わりにかけては、アルプス=ヒマラヤ造山運動がありました。
長い年月を経て、地面が動き化石の山ができあがったのです。ちなみに、「塩の山」と呼ばれる山もあり、そこにも社会見学に行く予定です。そのときはまた、お知らせします。
キーワード:隆起(りゅうき)、アルプス=ヒマラヤ造山活動
◆イラン人の生活
イラン人のほとんどがイスラム教徒ということを以前言いましたが、そのために敬虔なモスリムは日の出前に起きて礼拝をすることが1日の始まりとなります。そして、正午、さらに3時頃、日没、夜寝る前に礼拝しているそうです
イランは暑さが厳しい国なので、人々には昼寝や昼間に長い休憩をとる習慣があります。お店はだいたい1時半から4時頃まで閉まっています。能率の悪い暑い時を避けようとしているようです。
人々の服装ですが、男の人は長袖にブカブカのズボンを着ている人が多いです。また、スーツにはネクタイはつけないでいます。これはスーツにネクタイがアメリカを象徴するものだからだそうです。女の人は全員、ルサリーにコート姿、もしくはチャドル(黒い大きなマント)で身を覆っています。
食生活は主食はナン(パン)です。いろいろな種類のナンがあり、焼きたてのナンを手に入れるために朝から晩までナンの焼き上がる時間に道端に行列を見ることができます。副食は野菜料理や肉料理が主だと思われます。
こちらの人はホスピタリティーのある人達ばかりで、たいへん喜んでいます。特に、いろいろな意味で、日本人のことが好きなので、日本人には親切にしてくれます。タクシーに乗ると必ず「ジャパン、フーベ」と言います。(先生は複雑な気持ちでそれを聞くのですが・・・。)また、彼らはとてもあいさつ好きで、1度でも話をすれば、それ以後は友達のようにあいさつをしてくれます。ただ、彼らの短所は時間にルーズなところです。何かを頼むと「ファルダ(明日)」あるいは「tomorrow」と言って、その約束はいつまでも果たされません。こんなことが頻繁にあります。
休日は家族で緑の多い公園に行って、1日中そこで過ごす家庭が多いようです。日本で公園にイラン人の人達が集まる理由が分かるような気がしました。
この通信が夏休み前の最後のものになります。夏休みは勉強、クラブをしっかり頑張って下さい。
「アシュラ」という行事(26号、50号参照)) ![]() 6月8日「ホセイン負傷日」、9日「ホセイン殉教日」は、いわゆるアシュラの中日で、イランの国の悲しい記念日とされ、全国民が喪に服す日でした。これは、昔(620年)、シーア派の3代目イマム・ホセインがカルバラ(今のクウェートにある町)でスンニ派(イスラム教の一派)の軍隊に殺された事件があり、その人の非業の死を悼むというものです。その日の1週間前から、店の前には黒旗がたてられ、当日からしばらくの間、イランの人々は黒服を着ています。(新聞も名前の所に黒いたすきが掛かっていました。)また、当日には儀式があり、まず3頭の羊の頭を切り(いけにえとして)、その後、人々は自分の体をくさりで叩きながら、行列で歩きます。これはホセインと同じ苦しみを追体験するためだそうです。男の人ばかりですが、子供も参加し、30pぐらいのくさり5、6本で背中を叩きながら歩いていました。長い間歩くので、行進が終わった後は体が真っ赤にはれ上がるそうです。テレビでは、男の人が歌を歌い、人々が自分の体(胸のあたり)を叩きなが大声で泣いている光景も見ました。 外国人である先生から見ると奇妙な儀式でしたが、ホセインという人は、イスラム教シーア派のイランでは、たいへん重要な人らしいです。また、機会があればその話をしょうと思っています。ちなみに、毎年、6月8、9日がアシュラだとは決まっていません。その理由は・・・・・。また、お楽しみに。 <後日談>(Mさんより) アシュラの期間は、みな100〜200人分のご飯をつくって、親戚をはじめ近所にふるまってその間は炊事しなくてもいいくらい(しかし親戚にひとり、ふたりは100人〜200人分の食事の用意をする人がいるので手伝いにかりだされますが)いろんなとこからご飯がただでもらえるのです。ご存じですか? こういう面はあまり欧米、日本に紹介されていないように思いますがとても重要な部分だと私は思います。貧しい人々、お年寄り所帯など社会の弱者はその期間食事の心配なくいたるところでいろんな家庭からご飯をいただけるのです。 これは大変良い風習だと思います。うちの実家も2〜3年に一度は羊を殺して200人分くらい食事をつくってふるまいますよ。 |