ハメドゥスト テヘラン通信 第50号
サラーム。フービ、ショマ?
テヘランは朝夕ににわか雨が降る不安定な天気が多いですが、日中はとても暑くなってきました。家では、クーラーなしでは暮らせないくらいになってきました。
テヘラン日本人学校中学部では、5月の1、2週目に大きな変化がありました。中学1年生の1人が日本へ帰国し、中学3年生が転入してきたのです。合計2人で人数は代わらないのですが、1年生と3年生が同じクラスというのは海外校ならではのことです。先生にとっても初めての経験ですが、彼らが寂しい
思いをしなようにクラスを盛り上げていきたいと思っています。
先日、各国大使館対抗ミニサッカー大会があり、先生も参加させてもらいました。結果は5戦戦い全敗という結果だったのですが、先生は2試合で7得点とチームに貢献しました。相手は巨人ばかりで毎試合、生傷が絶えませんでした。
◆ アシュラ (7号、26号参照)
今年もアシュラの行事を見学にいって来ました。今までで一番身近で見ることができ、写真やビデオで記録することができました。昨年度は、イランの人と取っ組み合いになったのですが、今年は、彼らと同じような服装で見学をし、トラブルはありませんでした。
アシュラでは、男達が鎖で自分の体を叩きながら行進をするのですが、その行進の前に羊のいけにえを神に捧げることになっています。50mの直線の道路で8頭の羊が次々に殺されていくのを見ました。ナイフを持った男が、行列が来ると羊をさっとひっくり返し、押さえ、のどを切るのです。のどからは真っ赤な血が噴水のようにふきだしていました。去年も同じようなシーンを見たのですが、今年は間近でそれを見て、気分が悪くなりました。
今年もアシュラの行事がやってくる ![]() 問題です。「アシュラとは何でしょう?」 @昔、少年ジャンプの漫画に出てきた登場人物 Aイスラム教シーア派の誕生を記念する日 Bイスラム暦ムッハラ月の10日 Cシーア派3代目イマーム・ホセインが殉教した日 D男の人達が自分で素手や鎖で体をたたく日 正解は・・・ アシュラの話をする前に、イスラム教にはシーア派とスンニ派があることを知っておいて下さい。世界的には、イスラム教と言えばスンニ派を指すことが一般的ですがイランはシーア派です。スンニ派とシーア派では、同じイスラム教でもある部分で互いに受け入れられない思想があるのです。その違いの発端となったのが、予言者ムハンマドが死んだ後の後継者選びでした。ムハンマドの死後、後継者は選挙制で選ばれていたのですが、ある時から世襲制(子が代々受け継ぐ制度)に代わりました。 そうなると、ムハンマドの血統を引く者が正当な後継者であると主張するグループが出てきました。これがシーア派です。このグループはアリー(4代目カリフ、初代イマーム【注】カリフもイマームも後継者<リーダー>の意味)がその人だとしました。「シーア派」ができたのです。ちなみに「シーア」というのは「派」という意味です ![]() では、本題のアシュラについてです。ムハンマド死後、上記のようなスンニ派とシ ーア派の権力争いがあり、権力を持っていたのはスンニ派のウマイヤ家でした。ウマイヤ家が権力を持っている間、その政治に不正が多く、これを打倒する目的で、当時のシーア派3代目イマーム・ホセインが立ち上がりました。ホセインはウマイヤ朝を目指したのですが、目的は果たせず、カルバラという所で婦女子を除く一族全てが皆殺しにされました。イスラム暦61年(西暦680年)ムッハラ月の10日のできごとでした。毎年、ムッハラ月9日、10日、男達は鎖で体を打ちながら行進し、当時の苦しみを疑似体験し、ホセイン達の死を悼みます。この日はイスラム教シーア派の人々にとっては歴史的にたいへん重要な日なのです。 今週から、イランの男の人が黒ズボン、黒シャツ姿、女の人のチャドル姿が増えたのはそのせいです。風紀の取り締まりもこの時期、厳しくなります。 *これは、中学部の学級通信で紹介した「アシュラ」の説明です。今年は、中学部の学級通信でイラン紹介をしていく予定にしています。 |