ハメドゥスト    テヘラン通信   第48号 






サラーム。ハレショマフーベ。
 もうイランは夏と言ってもいいくらいです。去年は涼しく、イランらしくなかったのですが、今年はたいへんイランらしく喜んでいます。太陽がたいへん近く感じ、アスファルトの校庭は朝から暑いです。走ると乾燥した暖かい風が吹きつけます。テヘランには、春が通り過ぎ、夏がもうそこまで来ているようです。
 先日、バレーボールのアジアジュニア大会予選が行われ、ジュニアの選手達(ほとんどが大学生)が日本人学校を訪れました。有名な選手としては、昨年度シニアの大会で銀メダルをとった清水選手がいました。残念ながら、5チームのリーグ戦で日本は台湾、イランに次ぐ3位となり決勝には進めませんでした。 では、前回の続きから。

 
◆ どうする、どうなるイラン(2)
 イランを信じていた先生としては、イランが「テロ国家」と見なされたことにショックを受け、残念に思いました。ドイツという三権分立の民主主義国家の判決ですから、証拠もあり、まず間違いない判断だからです。
 判決が出された日の翌日から連日ドイツ大使館前ではデモが行われ、在イラン日本大使館からはその近くに寄らない旨の通達がありました。新聞では、デモのリーダーが、「もしドイツが最高指導者を侮辱するような態度をとり続けるのなら、仲間の数人は爆弾をもって自爆し、大使館を破壊する」といったインタビューなどがあり、数日間緊張していました。初日は投石などが行われたそうです。両国の大使は召還され、ヨーロッパ諸国もドイツに足並みを揃えました。これは、故ホメイニ氏が「悪魔の詩」の著者、サルマン・ラシュディン氏に死刑判決を言い渡して以来の大使召還だそうです。(1979年)
 アメリカとは一線を画し、イランと関係を保ってきたドイツ、ヨーロッパ諸国ですが、「テロ」という国際違反を犯した国にどういう措置をとるか?イランとドイツは貿易面では持ちつ持たれつの関係があるので、ドイツはヨーロッパ諸国との板挟みがあるのも事実です。それは、ドイツがイランの最大輸入相手国、輸出第2位国だからです。同じようにイランにとってもドイツは重要な国なのです。ですから、デモの矛先も代わりアメリカ、イスラエルを避難するものになっています。アメリカが政治的な圧力をかけ、ドイツに判決を出させたという理論です。イスラエルに関しては、長年の敵ですから、避難しやすいのです。  4月29日にEUの会議が行われ、今後のEU諸国とイランとの関係が話し合われることになっていますが、経済的な両者の関係から見て、国交断絶のような厳しい判断はされないと思われます。大使の召還などは、政治的なジェスチャーだとも言われているぐらいです。

 
◆ ハッジと犠牲祭 11号参照)
 イスラム教では、信と行の教えがあり神、天使、経典、予言者、来世、天命をの6つを信じ、信仰の告白、礼拝、断食喜捨、巡礼の5つの行、つまり、実行が行われ、真の教徒とされます。行では、1年に1ヶ月間断食をするラマザンが有名ですが、ハッジと呼ばれるメッカへの巡礼もイスラム教徒にとって大切な義務となっています。
 そのハッジはイスラム歴12月(「ゼィハッジェ」という)の7日から10日に行われ(今年は西暦4月15日から18日)イランからは7万5千人の人達が参加しました。ハッジの時期になると国営のイラン航空が臨時便をサウジアラビアに飛ばし、飛行場は巡礼者の見送りで、家族、親戚中が集まり、大混雑します。敬虔なイスラム教徒にとって、巡礼の義務を遂行する人は非常に尊敬されるからです。そして、巡礼最終日は、犠牲祭と呼ばれる儀式が行われ、山羊や羊がいけにえとされます。最終日の前日には道や市場で、生きた羊が売られ、翌日、のどもとを切って殺されます。道ばたやガレージで殺されるので、血のにおいがし、溝には真っ赤な血が見られ、先生達にとっては不気味な宗教行事の1つです。その後の羊は、貧しい人に与えられたり、自分達の家で食べるそうです。昨年、学校の前に住んでいる人がキャバブにして、くれたのですが、さすがに羊の死体を見た後では、先生達は食べられませんでした。

 今年、メッカへ巡礼していた人達が滞在していたキャンプ地で火事が起こり、約二百人の人がなくなりました。その数日前にミコノス裁判の判決に抗議をするデモをメッカで行うという報道が新聞であったのでイラン人が放火を行ったのでは?と思いました。しかし、原因は煮炊きをするためのプロパンガスが原因だったようで、安心しました。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。