ハメドゥスト テヘラン通信 第47号
サラマレーコン。ハレショマフーベ。
冬に葉一枚もなかったチェナール(すずかけの木)に葉がつき始めたと思ったら、日毎にそれらが成長し、緑がまぶしいほどになってきました。今年のテヘランは春が短く、夏が早いという噂が聞こえてきます。ちなみに、我が家ではもうクーラーが入っています。みなさん、お元気ですか?
テヘラン通信を書こうと思いながら、新学期が、もう2週間過ぎてしまいました。この2週間の間に、先生の大学時代の友人がイランに来たり、ドイツの裁判所で出された判決に対するデモが起こったり、イスラム教徒の義務の1つであるハッジ(メッカ巡礼)があったり、犠牲祭があったりしました。
それらのことについて、今回と次回に分けてお知らせしようと思います。
◆ 旅行しやすくなったイラン
「イランには入国しにくい」「ヴィザが取りにくい」ということを、ここに来てからずっと聞かされていました。そのため、親、兄弟を呼ぶことすらあきらめていました。でも、今年の1月に友人からイランに来たい旨の手紙を受け取り、真剣に調べてみると以外に簡単にヴィザが取れることが分かりました。こちらの旅行代理店にお願いし、代理店の名前でヴィザを取れば、難無く取れるのです。世界中を旅行している友人なのですが、イランに着いた時は、さすがに驚いたそうです。女性のチャドル(黒い布)で全身を覆う姿、ひげ面の男達、乱暴な車の運転、テヘランの寒さなどに。
テヘランの名所をいくつか紹介したのですが、行く先々で日本人の観光客に会い、びっくりしました。もちろん、その人達はツアーで参加している人達だったのですが、学校以外でそんなに多くの日本人を見るのは久しぶりでした。ちなみに昨年イランを訪れた日本人観光客は、3500人で、今年は8000人に伸びる見通しだそうです。友人は、イランに高層住宅があり、道路が整備されていること、野菜や果物などの食べ物がおいしいこと、タクシーを待っていると見ず知らずの人が車に乗せてくれることなどに感動して、イランを去りました。真夏のイランに来ることを薦めたのですが、来るかどうか。
満足して日本帰る友人を見て、ほっとしました。
◆どうする、どうなるイラン(1) (42号参照)
4月10日、ドイツのベルリン上級地裁で、イランが「テロ国家」であることが認定されました。これは、1992年ベルリンの「ミコノス」というギリシャレストランで、イラン反体制派亡命クルド人活動家4人が暗殺された事件の判決でした。判決によると「最高指導者などからなる特別作戦会議が犯行を指令した」とし、「イラン大統領、最高指導者、情報相、その他の治安担当職員の命令」で行われたことになっています。犯人のイラン人1人、レバノン人3人の2人に終身刑、2人に5ー11年の禁固刑が言い渡されました。(つづく)
お札に名前を書いたお年玉?!
4月26日はイスラム歴(イラン歴ではない)12月18日の預言者後 継者指名日と呼ばれる日でした。預言者ムハンムドがシーア派一代目イマ ームのアリーを自分の後継者として指名した日とされています。イランではその日は休日となり、また、ハッジの帰国もあり、盛大にお祝いがされ ていました。その3日前に、イスラム文化指導省(これについてはもう少し調べてから後日お知らせします)に行く用事があったのですが、担当の人がお年玉をもらったと言ってお金を見せてくれました。それは、新券に数字とファルシーが書かれたお金でした。偉いお坊さんが自分の名前と年月日を書いて、くれたことでした。お金に字を書いて人にあげる習慣などない先生にとって、たいへん驚かされることでした。でも、イランの正月 にも同じようにお金に名前を書き、お年玉として渡す人もいるそうです。 イランに来てから時々お札に字が書かれていて、不思議に思っていたのですが、謎が解け、うれしくなりました。 |