ハメドゥスト テヘラン通信 第39号
ノウルーズ・モバラケ(右から読む)
<あけましておめでとうございます>
イランには日本と違い、クリスマスやお正月などの年始年末の慌ただしさがなく、ゆっくり冬休みを過ごせます。2年連続ののんびりとした冬休みでした。
さて、昨年の年末に一昨年度に続きクリスマスイヴとクリスマスに旅行に出かけました。前回はアケメネス朝ペルシャの王達の冬の宮殿があったスサに行ったのですが、今回は春の宮殿・ペルセポリスのあるシーラーズに行ってきました。26日が12代目イマーム(8世紀中ごろ突然姿を消し、再び姿を現した時に、彼によって世直しが行われるとシーア派教徒に信じられている。)の誕生日だったので、そのお祝いの飾り付けで町中が賑やかだったのが印象的でした。
◆ ペルシャ発祥の地・ファールス地方
シーラーズはファールス地方の首都で、テヘランから飛行機で約1時間10分で行くことができます。このファールス地方のファールスがペルシャ語のファルシーやペルシャ帝国のペルシャの由来となっています。
約2550年前にその地方を中心にアケメネス朝ペルシャが栄えたからです。紀元前550年にクロシュ大王が近隣諸国を支配し、アケメネス朝ペルシャ帝国の王となりました。当時、パサルガダエと呼ばれるシーラーズの近くに政治的な首都を置き、現在そこにはクロシュ大王の墓や宮殿跡などがあります。約2500年前の石を積み立てた墓なのですが野ざらしにされているにも関わらず、その原型を保っているのには驚きました。また、遺跡の中に天使の石彫像が合ったのですが、羽の付いたヒゲを生やした男の人
の天使で、こんな天使もあるのだなと思いました。
ペルセポリスはペルシャ帝国3代目の王ダリウス大王によって紀元前518年から作り始められました。総面積125000uの宮殿は約180年間かけて作られました。この宮殿は新年を祝ったりする儀式を行うものだったようです。そこに残っている壁画にはペルシャの王に貢ぎ物を運ぶ支配諸国の人々や王達の姿、強力な門兵、伝説の生き物などが彫られていました。保存の仕方が悪いので風化や破損がひどく、がっかりしましたが、残っている彫刻物や建造物の作品の出来映えはすばらしく、それぞれに途方もない時間が費やされていることが分かりました。その後、崖に作られた巨大な彫刻のあるダリウス王を始めとするアケメネス朝の王達の墓参りをしました。当時の彼らの権力の強大さを感じました。
シーラーズ市内では、ペルシャの偉大な詩人サディとハーフェズ、8代目イマームの弟のお墓参りと巨大で美しいバラ園で有名なエラム公園を訪れました。残念ながらシーズンオフで少ししかバラは見られませんでした。
イランに来たときから憧れていたシーラーズは、予想通りすばらしいところで感動して帰ってきました。
96アジアカップ雑感:昨年末にUAE(アラブ首長国)でサッカーのアジアカップが行われました。日本は準々決勝で予想外の敗退を喫し、サウジアラビアが3度目の優勝を果たしました。イランは準決勝でサウジにPK戦で破れ3位でしたが実力ではアジアナンバー1といっても過言ではないと思いました。技術、体力、戦術ともにワールドクラスの力を持っているでしょう。今年3月から’98ワールドカップの予選が始まりますが、日本は個々の技術では中東諸国に明らかに負けているので、組織力でそれを補い、本戦出場を果たして欲しいものです。 |